「在日史」の空白
1959年12月14日、新潟港から朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)への帰国第一船(975人)が出港しました。1959年から25年間にわたって行われた在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業では、日本国籍者6,730人を含む93,340人の同胞家族が、北朝鮮に渡りました。当時の「在日」人口の実に6.5人に1人にあたります。この93,340人は、いったいどのような“生”を送ったのか? それは在日朝鮮人史の中にしっかりと刻まれるべき重大な事柄ですが、詳細な記録はなく、今もそのページは空白のままです。
“生き様”を記録するために
2019年12月14日で、帰国第一船が新潟港を出港して60年になります。帰国者の多くは今や高齢で、すでに亡くなられた方もいます。帰国者の「生き様」を調べ、記録するための時間は残されていません。現在、脱北して日本に戻った帰国者は200人あまり。関東に約150人、大阪に約50人が住んでいます。韓国には約400人の帰国者が入国していると思われます。この中には北朝鮮で生まれた方、また、脱北後に日本や韓国で生まれた方もいます。
非営利、非政治、協働での調査、学術研究
一般社団法人「北朝鮮帰国者」の記憶を記録する会では、在日韓国・朝鮮人と日本人が協働・共同して、「在日」と日本人の家族が北朝鮮で生きた記憶を残す作業を始めました。2018年7月8日には、二人の脱北帰国者をお迎えし、証言を聞く集会を開催しました。今後、2020年末を目標に聞き取り調査と取材を重ね、記録集「在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?(仮題)」の刊行をめざしています。
※新型コロナウイルスの感染拡大等の影響により、インタビューの大幅な延期、書籍化に伴う作業において遅延が生じております。
支援者の皆様には多大なご心配とご迷惑をおかけし誠に申し訳ございません。
現在、オンラインでのインタビュー実施等、工夫しながら2022年末刊行に向けて鋭意作成中です。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
呼びかけ人:金時鐘(詩人) 、文京洙(立命館大教員)、辛淑玉(のりこえネット共同代表)、ヤン ヨンヒ(映画監督)、 石丸次郎(ジャーナリスト)、 郭辰雄(コリアNGOセンター代表理事)、 林範夫(弁護士) 、宋毅(医療福祉従事者)、文世一(京都大教員)
賛同人:朴正鎮(津田塾大教員)、 金敬黙(早稲田大教員) パク ジョンナム(翻訳家)、田月仙(オペラ歌手)、 合田創(自由ジャーナリストクラブ理事) 、洪敬義(社会福祉法人勤務) 、金明秀(関西学院大教員) 、魁生由美子(愛媛大教員)、加藤博(北朝鮮難民救援基金)、山田文明(帰国者家族の生命と人権を守る会)、三浦小太郎(評論家)姜誠(フリージャーナリスト)、前田達朗(大学教員)