「北朝鮮帰国者の記憶を記録する会」では大阪、東京、韓国にお住いの脱北帰国者50人の聞き取り調査を終え、整理・編集作業を進めています。書籍刊行に先立ち、証言の抜粋を連載します。長いインタビューに応じてくださった証言者の皆さんの出身地は北海道から九州まで様々。1960年代初めに一家揃って帰国した人もいれば、70年代中盤に単身で渡った人もいます。帰国前の日本での暮らしは貧窮に喘ぐ家庭が多かったものの、少数ながら事業に成功して裕福な暮らしを営み、北朝鮮に全財産を持って行ったケースもありました。

9万3000超に及んだ帰国在日朝鮮人とその日本人家族には、当然、様々な帰国の動機、北朝鮮での暮らしがありました。その一端をお伝えしたいと思います。

とっておきのお洒落をして帰国船に乗ったの
愛知県出身 キム○○ さん

 1940年愛知県出身。ご両親を早くに亡くしたため中学生の頃からほとんど学校に行けず、働きに出ていた。大阪で勤めていた20歳のある日、自分の知らない間に兄家族と祖父母が北朝鮮への帰国を決めていて驚く。幼い妹も祖父母に連れられて北朝鮮に渡った。Kさんは妹を追って迷わず帰国するに至った。配置されたのは平安南道(ピョンアンナムド)南浦(ナムポ)。

 

◆「働いてばかりの子ども時代」

――Kさんはどんな子どもでしたか?

好きなものなんてないし、ただ一生懸命にお母さんの手伝いをしました。お母さんがやれと言うことをなんでもしましたね。つまり、お母さんの「おつかい」ばかりの子ども時代でした。小さい頃からご飯を炊いたり、洗濯もしたりしましたね。上は男きょうだいばかりが3人いて、私が4番目の女でした。その下に9歳下の小さな妹がいました。そんな状況だったので、私が家事をするしかなかったのです。

 

――それは苦労されましたね。

それはそれは、たいへん苦労しました。お父さんはとうの昔に亡くなっていましたし、お母さんも私が中学校3年生の時に子宮癌を罹って入退院を繰り返しました。なんとか退院しましたが、お母さんは家の2階でずっと寝て、私が下のお店でお母さんの代わりに商売して。お店では米を売っていましたね。朝鮮人同士で、いわゆる闇米でした。そして私のおばあさんが、お母さんの看病をしていました。

それから何年かして、16歳の頃だったか、お母さんも死んでしまってね。それから23年はなんとか暮らしていたのですが、私はひとり大阪に仕事に出稼ぎに行くことになりました。大阪では食堂で働きました。速い頃から働いたので、学校にはほとんど通えませんでした。だからでしょうか、日本語は少し覚えているけど、文字はほとんどわかりません。

 

◆「妹を追って帰国」

 

大阪でも一生懸命働きましたよ。そんなある日、少しの期間帰省したら家族皆が荷造りをしていてね、驚きました。「帰国することにしたからバイバイ」って。

――大阪にいらしたからご家族の状況を知り得なかったのですね。

そうなんです。もう私が家についたその時まさに荷物を運び出すっていう、そんな状況だったのです。もちろんまだ小学生だった妹も一緒でした。突然で本当に驚きましたが、訳がわからないまま一旦新潟まで見送りに行きました。そして、私もすぐに帰国申請をすることにしましたね。それから3ヶ月後に帰国することに。9歳下の妹が心配でしたので。

 

――それは心配でしたね。でもまたなぜ急に?

私たち兄弟にはお父さんもお母さんもいないじゃないですか。しかも上の兄達も私でさえも遠くに働きに出ていたので、誰も妹を見ることができなかったのです。しかも妹は、兄の子どもの子守ばっかりさせられていましたし。そんな妹を見て、うちのおばあさんが、周りの市場の朝鮮人たちも皆(祖国に)帰国するって言ってるから、この子も連れて行こうって決めたみたいです。私は全く知らなかったのですが。

 

――Kさんも帰国したいと思ったことは? 

それまで全くそんなことはありませんでした。帰国事業について宣伝しているのは見たことがありましたし、みんな憧れていたようだけど、私はとにかく仕事が忙しくてそれどころではなくて。ただ、妹がたった1人帰国してしまって、可哀想でとても心配でした。私が妹にとって唯一のお姉さんですから。だから、帰国について迷うことはありませんでした。妹や祖父母家族を新潟で見送ったあと、すぐ帰国申請に走りましたね。(続く)

ー聞き手 洪里奈

<連載>北朝鮮に渡った在日のはなし ~なぜ帰国し、どう生きたのか~ 第1回②

新潟から出港する帰国船のソ連のクリリオン号。1960年5月19日撮影小島晴則
新潟から出港する帰国船のソ連のクリリオン号。1960年5月19日撮影小島晴則

 

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(2020年9月14日)

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