とっておきのお洒落をして帰国船に乗ったの 愛知県出身 キム○○ さん ②

前回 <連載>北朝鮮に渡った在日のはなし ~なぜ帰国し、どう生きたのか~ 第1回

――帰国した日の気候は?

10月だったから少し肌寒かったように思います。私はパーマをして、ピンクのチマチョゴリを着て乗船しました。たしかチョゴリだけだと寒くて、羽織物を着たのを覚えています。ヒールも履いて、もちろんアクセサリーもしましたね。とっておきのお洒落をして帰国船に乗りました。私は日本では本当におしゃれが好きでした。ピンク色、ハイヒールが大好きでした。荷物は先に送っておいて、妹のためにミシンや下着、あと自転車を積みました。

 

――到着した清津港での印象は?

清津に着いたら、北朝鮮の人達が迎えにきてくれていました。女たちは花などを抱えていましたね。でも彼女達の服をよく見ると、真っ黒なゴムシン(※ゴムで出来た簡素な靴)真っ黒のチマ(※スカート)と白いチョゴリ(上衣)で、パーマもしていないし飾りもない。頭もみんな一つに編んでいて、それを見た私はもう驚いてしまって。ここの女はこんな様子なのかと呆気にとられました。それとすごくきついニンニクの匂いがしました。
あの瞬間は忘れられません。

1959年12月16日、帰国第一船が入港した際の清津の様子。多くの住民が出迎えに動員されている。
北朝鮮の国営メディアが撮影した写真を朝鮮時報が報じた。

 

◆「働いても、働いても」

その後は南浦区という地域に一家は配置を受けた。Kさんはトラックを扱う工場で従事した後、職場結婚。娘を二人授かる。「苦難の行軍」時代は市場でさまざまな商売をしたり、美容関係の仕事をしたり工夫しながら生き抜いてきた。

 

――北朝鮮での暮らしで一番嬉しかったことは?

それはたぶん、60歳の時のことです。愛国労働に貢献したとメダルをもらうことがありました。地域の高速道路の建設のために、女たちみんなで働いたんだけど、私がよく働くと評価されました。
しかも60歳なので歳もとっているのに、本当に一生懸命働くと。でもあの時、高速道路を建設するからといって、村のお墓を全部壊したり移動させたりしていました。それは心が痛みましたね。

 

――Kさんはいつも一生懸命なのですね。

北朝鮮でも一生懸命、50年間働き続けましたよ。愛国心があったのかもしれないと思いますね。でも、私には一生懸命働くことしかできなかったのだと思います。
私の人生で唯一大事にしていた宝物は、若い時に撮った写真でした。とっておきのお洒落をして、綺麗なピンクのチョゴリを着て日本で撮った写真です。北朝鮮で暮らしていた時にも、いつも部屋の見えるところに飾っていました。それが私にとって心の支えでした。これが、私なのだ、と。

(日本で撮った)唯一の写真だったのに、持ってくることができませんでした。今はどこにあるか、わかりません。(了)

 

ー聞き手 洪里奈

<連載>北朝鮮に渡った在日のはなし ~なぜ帰国し、どう生きたのか~ 第1回

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(2020年9月14日)

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