第3回 北朝鮮での結婚、そして家族に起きたこと  在日帰国者の証言 朴永淑(パク・ヨンスク)さん 

第3回 北朝鮮での結婚、そして家族に起きたこと  在日帰国者の証言 朴永淑(パク・ヨンスク)さん 

◆結婚は帰国者同士で

石丸:若い人もたくさん帰りました。ヨンスクさんの世代ね、男性の方も沢山帰りましたけど、現地の人と喧嘩になったり、そういうことはありましたか?

朴:喧嘩…そういうこともあったのかもしれません。でも私はよくわかりません、そういうことは。だけど考えてみたら、帰国者は帰国者同士で結婚して、向こうの人は向こうの人たちで結婚して、そういうのがほとんどでした。

石丸:それは親も望むんですか、帰国者同士で結婚しなさいって。

朴:望むというよりも、自然にそうなるみたいですねぇ。やっぱり向こうに行って、向こうの人は向こうの人同士で集まって、帰国者は帰国者同士で交際するようになるから。結婚するのも、自然と、帰国者は帰国者、向こうの人は向こうの人、そういう風になるみたいです。私も帰国者と結婚したんです。

石丸:何年に結婚されたんですか?

朴:62年に行って、63年に結婚しました。結婚した理由は、結婚に憧れてしたんじゃないんです。冬がもう、日本に比べたらあまりに寒くて、仕事に出るのが怖くて、冬に。それで結婚しました。

石丸:それは、いわゆる扶養になれるからですか?

朴:ええ。結婚したら、仕事に出なくてもいいんです。

石丸:北朝鮮では、成人したら、男性も女性もみな職場に行かなければならないんですよ。しかしながら、主婦という身分が許されます。扶養と言いますけど、扶養になったら、女性に限っては、出勤せずに配給がもらえる。

朴:配給がもらえるんですけど、職場に出たら、一日に700グラムですね、米がもらえるんで。米と言っても白米じゃなくて、トウモロコシとお米と5対5でもらえるんですけど、主婦は、職場に行かないで家にはいられるけど、300グラムしかもらえないんです。300グラムもらったら、150グラムと150グラム(米とトウモロコシ)。それでは、副食物が充分にあればそれでも足りなくはないけど、食べるものもないから、お米もらえなかったら困るんです。それでも、食べないでも、寒い冬に出ていくのが億劫で。

石丸:寒いのが嫌だったんですね。それで結婚したと。

朴:ええ。それで結婚しました(笑)

2018年7月で開催された証言集会の様子。撮影 合田創

 

◆二人の兄が政治犯として捕まり…

石丸:結婚して、お子さんを作って、家庭を作って、向こうで定着していくわけですけど、ヨンスクさんの実のご兄弟とご両親をあわせて8人帰っておられますが、そのうちで非常に不幸なことにですね、政治犯として引っ張られたお兄さんがいらっしゃるということですが、何年に、どういう経緯で事件が起こったのか教えてください。

朴:本人も、どんな理由で捕まっていったのかわからなかったみたいですね。だけど、後で分かったら、その、帰国する時に、自分の経歴を正直に書かなければいけなかったんだけど、それをちょっと、よくないことは書かないで出したみたいですね。それがいけなかったみたいで。何かと言ったら、学校を卒業する時に…うーん、私は話すの上手じゃないから…。

石丸:いや、話せる範囲でいいですけど、それで何年にお兄さんは連れていかれたんですか?

朴:〇年です。

石丸:それで連れていかれた後、どこでどういう調査を受けたかというのは、わからなかったんですか?

朴:わかりません。政治犯で捕まったというんだけれど、何も不服を言ったこともないし。考えてみたら、(日本で)学校卒業して、学校から職場、職場じゃないんだけど、社会に出る時に、陸軍の何かに、行ったみたいです。

石丸:ああ、戦前に日本の軍隊に行っていた、その経歴がひっかかった。でも、その時はもう、30代、40代だったんでしょ、お兄さんは。

朴:ええ。〇年の頃には、そのくらいになっています、30いくつ。

石丸:家で逮捕されたんですか? 職場で逮捕されたんですか?

朴:職場ではなくて、職場から出張に行くように言われて、出張じゃないんです、本当は。でも、本人には出張に行ってこいと言って。行ったんですけど、それきり帰ってこないんです。それで後でわかってみたら、捕まっていったと。

石丸:そのお兄さんの家族はどうなっていったんですか?

朴:田舎に追放されました。

石丸:田舎というのは、都市に住んでいたのが、田舎というか、農村の方に送られることですか? 追放というのは、収容所に入れられるわけではなくて。

朴:家族までは収容所にはいきませんでした。ただ追放されただけで。

石丸:で、その累はヨンスクさんには及ばなかったんですか? そのお兄さんの件で調査を受けるとか。

朴:私は全然影響はなかったです。

石丸:それはとても怖い体験じゃないですか? 身内が何の理由かもわからないのに、職場の出張と言われて、そしてそのままいなくなって。

朴:ええ。だから、兄が行った後、兄嫁と子供を4人、その時4人でしたけど、全部地方に送られて、そこで農業しなきゃいけないんですよね。その農業も山奥だから、苦労したみたいです。そして兄嫁は決心して、子供のために再婚したんです。再婚して、都市に帰ってきました。子供も全部連れて。再婚するっていうよりも、子供のためにそうしたみたいです。

 石丸:当時は、北朝鮮では金正日さんが公式に後継者になる前後ですね。

朴:ええ、その頃ですね。

 石丸:在日でそのように引っ張られる、逮捕されるケースがしばしばあったと言われますが。

 朴:多かったです、その頃、帰国者で捕まっていく人が。職場に出て、一晩帰ってこなかったら、みんな震えていました。捕まっていったのかなって。

石丸:お知り合いの中でもいましたか?

 朴:いました、たくさんいました。

 石丸:なぜ、やられたんでしょうか、在日が。

 朴:不服を言った人もいるし、うちの兄みたいに経歴をごまかしたり。

 石丸:それはスパイに疑われたんですか。

 朴:ええ、疑われたんです。

 石丸:それと不満を言った。その他にどんな理由が考えられるでしょうか?

 朴:日本の奥さんもいたし、だから、旦那さんが捕まっていくんですね。

 石丸:日本人妻?

 朴:ええ、日本人妻。そういう人の中でも、捕まっていきました。

 石丸:日本人妻は周囲にいらっしゃいましたか?

 朴:ええ。私のよく知っている人の中で、日本人妻が何人かいたんですけれど、二人捕まっていきました、旦那さんが。

石丸:旦那さんが捕まっていったんですか? 日本人妻の人は?

朴:いえ。日本人妻の方はそのままいました。

 石丸:なぜでしょうね、そのように70年代に、帰国者が標的になったのは。

 朴:一人はね、捕まっていった人の兄が、向こうで暮らしていて、ゲンちゃん(現地の人)。日本から行かないでそこにいたんだけど、その人が捕まっていって、弟がまた捕まっていったんです。そういうのもあったし、日本から帰る時は、共産党だと言って帰ったんだけど、不服を言ったために、捕まっていった人もいます。

石丸:その頃はまだ、お母さんは生きておられましたか?

 朴:うちの母は、75年度に亡くなりました。

 

2018年7月で開催された証言集会の様子。撮影 合田創

 

 石丸:そしたら、お兄さんが捕まっていったときはまだ生きてらしたんでしょ。自分の息子が捕まっていったらもう大変じゃないですか?

 朴:ええ。そして言ったら、やっぱり最初は知らなかったから、出張に行ったんだと思っていたけど、1カ月経っても帰ってこないから、もうあちこち、人が言うんですよね、捕まっていったみたいだって。で、市安全部と言ったら、警察なんですよね。その、市安全部に行って、息子が帰ってこないんだけど、ちょっと探してくれって言ったんです。それから1カ月くらい経ってから、捕まっていったことが分かったんです。

 石丸:捕まっていったのが分かったら、取り戻したいじゃないですか、親としたら。

 朴:ええ、そうですよ。でも捕まっていったからには、仕方がないから、もう。帰ってくるのを待っていたんですけれど、母が75年度亡くなるまでに、全然便りも何にもないし、消息が分からなくて。

 石丸:その後になって、どうなったかとか、消息は分かったんですか?

 朴:いまだにわかりません。

 石丸:もう一人のお兄さんも確か…。

 朴:ええ。不平を言って、だから、兄がこうして捕まっていったんだけど、うちの兄は悪い人じゃない、正直で、誠実に今まで生きてきた人なのに、捕まっていくなんてあんまりに酷すぎると言ったんです。その不服を言ったからまた捕まっていった。

 石丸:それもお兄さんですか?

 朴:ええ、兄です。

 石丸:その方はどうなったんですか?

 朴:捕まっていって、一カ月くらいして死にました。

 石丸:警察で死んだんですか?

 朴:捕まっていく前に、胃が悪くて病院に入院しなければいけないって言っていたんだけど、入院する前に捕まっていってしまったから、肝硬変で死んだんです。

 石丸:じゃあ獄中で。

 朴:ええ。獄中で、胃が悪いのが肝まで行ったんです。

 石丸:健康が悪化して。

 朴:ええ。それで肝硬変で死んだって言ってました。

 石丸:その、もう一人のお兄さんの遺体は、ちゃんと返して…。

 朴:もらえません。

 石丸:返してもらえないんですか?

 朴:死んだっていうことが分かっただけで、どうやって、どこで死んだのか、いつ埋められたのか、全然わかりません。

(続く)