『在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?』会場の参加者との質疑応答 (前編)

『在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?』会場の参加者との質疑応答 (前編)

2018年7月8日に大阪で開催された集会、『在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?~北から逃れた人々を迎えて~』では、会場の参加者からの質問に答えて、朴永淑さんと林潤美さんに語っていただきました。(前編)

(モデレータ 石丸次郎)

 

会場の参加者との質疑応答

 

石丸:若い方からのご質問がありました。「私は在日4世ですが、帰国事業のことは去年知りました。多くの在日がこの日本に住んでいますが、長い間、なぜこんな大変な問題が表に出なかったのでしょうか。今何とか北朝鮮で生きている帰国者や高齢の日本人を救出するにはどうしたらいいでしょうか。日本に残る私たちはどうしたらいいでしょうか非常に難しい質問なんですけど、ヨンスクさんは、帰国者の問題を、日本にいる人たちが、どんなことをすれば帰国者の助けになると思いますか?

朴:そうですね、経済的な問題ですか?

石丸:何でもいいです、帰国者のためにこうしてほしいと。

朴:難しいですね・・・。

石丸:わかりました。では、後で皆さんとまた考えましょう。

ヨンスクさんに質問です。お兄さんが収容所に入れられたと言いますが、お兄さんの職業は何だったのですか?

朴:兄の職業は、一人は工場に勤めていました。

石丸:何の工場ですか?

朴:大きな工場でしたけど、向こうの。北朝鮮の中でも有名な大きな工場です。

石丸:そういう大きな工場というのは待遇もいいんでしょうか?

朴:そうじゃありません。大きいだけで、待遇はよくありません。小さい工場のほうが、待遇はもっといいというよりも、融通が利くんだけれど、大きい工場は融通が利かないんです。

石丸:では関連してお聞きしますが、70年代で、普通の労働者が、一カ月にどれくらい配給があって、どんな配給、例えば食べ物とか、副食とか、あと給料はどれくらい出ていたのですか?

朴:はっきり言って給料では生活ができません。お米を買ってもいくらも買えないし、男でタバコを吸う人は、その煙草代にもなりません。

石丸:では、みなさん、どうやって暮らしていたんでしょうか?

朴:どうやって暮らしていたのか、疑問です(笑)。

石丸:はい。それから、これは主催者、企画担当者に対する質問ですが、「帰国運動は間接的には日本政府にも責任があるわけですが、日本政府に要求したい事項はありますか。」ということですが、これは私の方からこのご質問に答えます。

これは私個人の考えですけれども、日本は、先ほどカルカッタ条約というのが出てきましたね。日本赤十字と北朝鮮赤十字が合意して帰国事業に入っていきます。人道事業だからやるんだという日本政府の意向がありましたけれども、まあいろんな研究者の論文を見ると、日本は厄介払いをしたかったと、在日朝鮮人の。渡りに船だということで、行ってもらおうじゃないか、帰ってもらおうじゃないかということだったようです。

そこに、日本の政府の法的な責任があるかどうかというところは、いろいろ判断難しいところがあるわけですけれども、当然、私は道義的な責任はあると思います。ただ、私たちが今後やろうとしている会では、政治運動ではなくて、帰国者の人たちの聞き取りを一刻も早くやるんだということに特化してやりたいと思っております。

それでは、ユンミさんにもお聞きしますね。ユンミさんは、帰国者の娘として、ここが不当だと、これが困るなと、北朝鮮で暮らしているときに思ったことはありましたか?

林:帰国者の子供として、北朝鮮に住んでいるときに、自分自身がすごく悔しかったり、不幸だと思ったり、そういう体験なり考えはないです。ただ、自分の父、母、そして隣人、同じ境遇にある帰国者、こういう人たちを見ると、非常に何か胸が痛む、そういう気持ちになったことはあります。帰国者の子供だからということで自分自身が差別されるということではなくて、帰国者の存在自体が差別の対象に北朝鮮ではなっていると思っています。ですから、帰国者自体の、この全体の問題をどうするのかということが、帰国者の子供として非常に重要だと思っております。

先ほども少し述べましたけれども、帰国者だから差別云々という次元ではなくて、北朝鮮社会は、北朝鮮に住んでいる人でさえも、何らかの政治的ミスを犯すとか、例えば出身成分、いわゆる昔で言う地主の出身であるとか、あとは韓国出身だとか、そういうことだけで、社会構造的に差別迫害を受けるような、そういうシステムになっているので、そっちの方が問題だと思っております。

小さい時は、これは先ほどもお話した内容ですけれど、単に目の前に繰り広げられることが楽しかったり、日本から送られてくる製品が嬉しかったとか、そういう事ばっかりだったので、敏感に帰国者の子供として何かを感じることはなかったです。ただし、学生の時に、兄が中国に密入国をして、そこで捕まって強制送還され、所謂反逆者として北で政治犯の収容所に送られたときに、自分たちも完全に連座させられて、何らかの罪を受けるのではないかなと思ったのだけど、意外とその時は何もなかったので、何か寛大な措置をしてくれたのかとそのように思いました。

石丸:70年代に帰国者がたくさん捕まっていったという話をしましたよね。そういう話を本で読んだり、帰国者に直接聞いたりもしたんですけれども、その中で、日本からお金を送ってくるおうちが標的になった、つまりお金を取り上げるために、お金を奪うために在日の帰国者の人間をわざと政治犯にするケースが多かったと、そういうことを聞いたこともあるのですが、そういう例はありましたか?

朴:そうですねえ。私もそういうことは聞きました。でもはっきりしたことはわかりません。

石丸:あの家がやられたのはお金が来ていたせいだとか、そういう噂を聞いたことがあるとかですか?

朴:そうじゃなくて、私の家もお金を送ってくるんだけど、それはそこで兄弟が分けて生活するのにいっぱいで、そういう余裕は全然ありませんでした。だけど、他の人の目から見れば、あそこの家はお金も送ってくるんだから、生活も楽だし、いいんだろうということで、幹部の人は、なんとかして、あそこのうちのお金を利用できないかという、そういうことを思っていた人はいました。

石丸:だから、ヨンスクさんのお兄さんたちがやられたのも、日本からくるお金を狙ってやろうというのもあったんじゃないかと。

朴:そういうこともあったのかもしれません。

石丸:周辺の在日でいなくなった家でもそういうことはありましたか?

朴:ええ、ありました。私のうちは、兄弟が多いから、日本からお金は送ってくるけど、分けたらいくらもないんですね。だけど、向こうに一人で、こっちに家族の多い人は、やっぱりお金を送ってきても余裕があるじゃないですか。そういう人は、やっぱりそれを利用して、自分の息子が入っているのを(収容所から)引き出したり、そういうことはありました。(続く)

 

2018年7月8日に大阪で開催された集会、『在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?~北から逃れた人々を迎えて~』