14歳で帰国船に乗った石川学さん
北朝鮮での30年とは何だったのか?

第2回 帰国前夜

「朝鮮は考えているほど良い国じゃないよ」と言った友人

前回お話ししたように、兄が「大村」から韓国に強制送還されることが決まった時期と、姉の北朝鮮へ行きたいという思った時期が重なったため、兄、姉、そして私、兄弟三人での北朝鮮への渡航が決まりました。決まったのは船が出る一週間前。急な出来事でした。

当時14歳だった私は栃木県の朝鮮小中学校に通っていて、クラスの中で帰国をする人は私以外いなかったと記憶しています。しかし、学校全体でみると、後に同じ帰国船に乗ることになる、私より年下の少年一人もちょうど同じ時期に帰国をするようでした。

帰国することを朝鮮学校で伝えたら、「お前、本当に朝鮮に帰るのか? お前ね、北朝鮮はお前が考えているほど良い国じゃないよ」と、同級生が私に言いました。

「地上の楽園」だと大々的に宣言されていましたが、先に北朝鮮へ渡っていた人たちは、向こうでの不自由な生活に耐えられなくなって、日本にいる親族に仕送りしてほしいとしばしば頼んでいました。ですから、「北朝鮮はそんなに良い国じゃない」と私に言った同級生の親戚も、おそらく既に北朝鮮に帰国していたのでしょう。そして、彼は親戚を通じて知った北朝鮮の実情を私に伝えようとしたのです。

◆セイコーの時計10個を餞別にもらう

同じ頃、私たち兄弟の帰国を懸念する人がもう一人いました。当時姉が勤めていた朝鮮新報社の社宅に住んでいた方です。その方の夫は朝鮮新報社の幹部でしたから、北朝鮮の実際の暮らしは、宣伝されている「地上の楽園」ではなくて大変だということをよく知っていたようです。

姉は当時朝鮮新報社の社宅に住んでいましたが、その方と社宅にいた人、皆でセイコーの時計を10個買って私たち兄弟に渡してくれました。北朝鮮への仕送りでは、セイコーの時計、ネッカチーフ、ナイロンの生地と味の素をよく頼まれるみたいで、中でもとりわけセイコーの時計が人気のようでした。なぜなら、向こうでは、セイコーの時計が高く売れ、生活の足しになるからです。

一方、仕送りがある間は良い生活ができていても、それが途絶えた途端に苦しくなり、貧困に陥る人も多いようでした。

では、北朝鮮の暮らしが、宣伝されているような「地上の楽園」ではないと分かっているのに、なぜ周囲の大人たちは私たち兄弟の帰国を止めなかったのかでしょうか? それはやはり、兄と姉の北朝鮮への思いが強かったからなのです。お話したように、私の兄は素行不良で少年院に行き、そして「大村」に収容されていました。兄は、北朝鮮での暮らしは宣伝されるような「楽園」ではないと薄々気づいていたものの、少年院の暮らしよりはマシだろうから、行っても構わないと考えていました。

姉は朝鮮へ行けば大学へ行ける、皆が平等に働き、生活をし、病気になっても無料で治療を受けられると信じていました。だから、そんな二人を見て、周りは止めることができなかったのです。

私はというと、朝鮮学校で受けた教育で北朝鮮は良い所だと思っていたのと、姉が「もし朝鮮へついて来なかったら、誰がお前の面倒を見るんだ?」と私に言っていたこともあって、14歳でしたが、納得した形で付いていくことになりました。

「帰還専用」列車の窓から顔を出す帰国予定の在日。新潟駅に到着した時のカットか。1962年3月、小島晴則さん撮影
「帰還専用」列車の窓から顔を出す帰国予定の在日。新潟駅に到着した時のカットか。1962年3月、小島晴則さん撮影

◆新潟行きの列車に乗る

帰国することが決まるやいなや、私の姉は荷物をまとめて朝鮮新報社の社宅から出て行きました。私のもう一人の兄も朝鮮新報に勤めていて姉と住んでいましたが、私たち兄弟三人の帰国をきっかけに仕事をやめ、ずっと夢に見ていた音楽の道に進むことにしたんです。後になって、私たちは、帰国せずに芸術団に入ることを選択したこの兄からの仕送りに頼ることになります。

8月のある真夏日、半そでのポロシャツを着た私はスーツケースを提げて、帰国船に乗るために、姉と一緒に東京から新潟へ向かう列車に乗り込みました。むせるような暑い気温の中、空にはひとかけらの雲も見えません。今でもその日の強い陽差しが印象に残っています。

スーツケースには当分の着替え、洗面道具、そして姉の会社の方からもらったセイコーの時計が入っていました。学校で送別会を開いてもらっていた時には、まだ帰国の実感が湧かなかった私も、さすがにこの時には、いよいよ本当に帰国をするんだなと思うようになりました。すっかり「地上の楽園」だと思い込んでいたものですから、少し不安もあったものの、私は列車の中で駅弁を食べながら、これから行く祖国への期待を膨らませました。新潟に着いたのは夕方でした。(続く)

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(2020年9月14日)

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