「シンポジウムのご報告」② 2019.11.17(東京)

「シンポジウムのご報告」② 2019.11.17(東京)

2019年11月17日 東京早稲田大学にて「北朝鮮で在日はどのように生きたのか その“生“を当事者に聞く」主催:早稲田大韓国学研究所 共催:アジアプレス・インターナショナル、一般社団法人「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」)シンポジュウムが開催され、大阪開催時とほぼ同じ100名を超える参加者で会場は埋まり盛況ぶりがうかがえた。

 

(会場の様子)

パネリストとしてリ・チャンソンさん(1941年岡山出身 1962年に単身帰国 韓国在住)キム・ルンシルさん(1948年福岡出身 1960年に母と姉妹と帰国 韓国在住)石川学さん(1958年東京出身 1972年に朝鮮中学在学時に帰国 東京在住)チョン・ムンジャさん(1940年鳥取県出身。両親と兄弟姉妹ら一族10数人が帰国)に登壇いただき、パネリスト聞き手として、当会学術顧問である、津田塾大学 朴正鎮教授と理事の石丸次郎で進行が行われた。

 

リ・チャンソンさん(1941年岡山出身 1962年に単身帰国)

日本では柔道の選手だった。1964年の東京オリンピックに出場したかったが、外国人は出られなかった。北に行けば北朝鮮代表になれるかもしれないし、柔道も勉強もタダで腹いっぱい食えると聞いて、家族の反対を押して渡った。清津の港に着いて、現地の人の肌が真っ黒なのと人々の衣類がみすぼらしく靴も履かずにはだしの人たちが多くいた。1週間招待所にいたが飯が臭くてとても食えたものではなかった。女性たちはみんな下痢していたという。1994年キムイルソン死去後、キムジョンイル体制に移行し300万人が餓死したという「苦難の行軍」の時期、街角には餓死者が無数にいて人の「死」に不感症になっていたという。ある日前からふらふらと自分に近寄る男女がいて、よく見るとよく知る帰国者の夫婦だったようだ。自分の目の前で何か言いかけたと思うとそのまま倒れこんだ。息を引き取っていた。その光景がいまだ目に焼き付いて離れない。

 

キム・ルンシルさん(1948年福岡出身 1960年に母と姉妹と帰国)

帰国者は現地の人とは付き合わなかった。ちょっと何か言ったら密告するから。だから帰国者だけで寄り添い日本の歌を歌ったりして故郷を懐かしんだという。そういう友人たちがまだ北朝鮮にいるが生死はわかっていない。

 

石川学さん(1958年東京出身 1972年に朝鮮中学在学時に帰国)

朝鮮総連の選任活動家であった姉とともに帰国したという。朝鮮学校で学び北朝鮮を疑うことなく信じていた姉は、誰もが自由に大学で勉強できるという総連の甘言を信じ、平壌の大学で学ぶことを夢見ていた。帰国直後、招待所で配置先が決められる時「平壌の大学に行きたい」と言ったら「22歳の女が大学など行けるわけがないだろう」と言われ、それを聞いた姉は口を開けたまましばらく動かなかったという。その2年後、姉は精神を患い1991年に亡くなった。(北朝鮮では罪人と精神病患者は公民権はもちろんのこと国民登録からも除外される)「苦難の行軍」のころ、死体が目の前に転がっているのは日常で、特に小さい子供が手にパンを握ったまま笑みを浮かべて死んでいた光景が忘れられないという。

 

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当会では、聞き取り調査も順調に開始され、また2019年度はみな様のご協力のもと、クラウドファンディングも当初の目標を超える額を達成することができました。改めて感謝申し上げる次第です。来年(2020年)末を目標に聞き取り調査と取材を重ね、記録集「在日帰国者は北朝鮮でどう生きたか?(仮題)」の刊行をめざしています。(S)