「『共和国』訪問記-若き日に祖国でのこと ②」

「『共和国』訪問記-若き日に祖国でのこと ②」

2~3週間ほど同じホテルを利用していると、従業員たちとも顔見知りになり、自然と打ち解けることになる。確か、休日の日に「参観事業」もなく、ホテル待機を命じられていたとき、昼食後に従業員たちがリラックスした姿でテレビの前に座ったり、寝転んでいた。

私が、何を見ているのか側に近づくと「光州は告発する」というドキュメンタリーを食い入るように見ていた。1980年5月の光州市民の蜂起を約30分ほどで編集したもので、私も日本で何回も見たドキュメンタリーであった。私も彼(女)らと一緒に絨毯に座り観ていたのだが、私は当時のことを思い浮かべながら、全斗煥にたいする憤怒を抑えきれないでいた。

ところが、彼(女)たちはデモシーンに映りだされる町並みや学生・市民たちの服装を注視しながら「地方都市というのに立派な建物が建っているな。みんなちゃんと靴をはいているではないか」と感想を述べ合いながら、「南朝鮮社会の現実」をしっかりと目に焼き付けていたのである。

 

『平壌旅館』’70~’80年代当時ではピョンヤンの最高級ホテル コラム筆者提供(1970代末頃)

大同江川辺にたたずむ当時の『平壌大劇場』 上記の『平壌旅館』のまん前にある。 コラム筆者提供(1970代末頃)

*当時はホテルから100mも離れていない劇場への移動すら、指導員(監視員)の同伴なく移動は禁じられていた。

 

当局は「全斗煥政権」を糾弾する目的でそのドキュメンタリーを放映したのであろうが、人民はちゃっかりとそこから暮らしの情報収集をしていたのである。

今は、「韓国ドラマ」の大量流入等により、ある程度等身大の「南朝鮮の現実」を認識しているであろうが、1980年代ではそのようなものが一切なかっただけに、彼(女)からしたら非常に貴重な情報源だったのだろう。

1990年代以降とは違って、まだ、この時期は社会主義陣営が崩壊する前で、配給制も細々ながらでも維持されていて、日本からの雑誌や書籍等も検閲されることなく比較的自由に持ち込めることができた。その時期に初めて聞いた在日帰国者関連の大事件が「ウ・イニ大女優処刑事件」と「大同江女性従業員事件」である。(続く

(P)